続・ほんのちょっぴりの小さな勇気……!!
目次
前回のあらすじ
運動音痴で小学校3年生にして鉄棒の前回りができなかった僕。
逆上がりができない鉄棒ピラミッドの底辺に位置する友達たちの応援のもと、何とか前回りができるようになった。
「おめでとう!」という底辺たちからの賞賛の中、同じ底辺に属する僕は見ていた。いや、正確に言うと気づいていた。
その負け組たちの傷の舐め合いを見つめる2つの視線。
高鉄棒で女子たちからキャーキャー言われる勝ち組たちからの冷めた目と、それを傍観する先生の静かな目つきに……。
(詳しくは前回の記事を参照してください。漫画のデスノートの文字数よりかは明らかに少ない文字で書かれているのでサクッと読めると思います)
続・ほんのちょっぴりの小さな勇気……!
「おめでとう!」
「おめでとう!」
「おめでとう!」
「逆上がりできない組」のみんなが拍手をして自分のことのように喜んでくれました。
「俺、もう前回りと結婚するわ」
僕はというと、訳わからないことを言っていた記憶があります。
初めて、体育の授業が「楽しい」と感じた瞬間でもありました。
そして楽しい時間も束の間、体育の授業は終わりを迎えようとします。
僕は残った時間をずっと満面の笑みで前回りをしていました。
(小学生が満面の笑顔で鉄棒グルグルするとか、想像すると何か不気味な絵だな……)
「逆上がりできない組」からは、
「よ!ナイス前回り!」
(何が…?)
「社長!よく飛びますね!」
(接待ゴルフですか?)
と、時間終わるまで言われ続けていました。
もうすぐ授業終わりのチャイムが鳴ろうとする時、先生が終わりの言葉を喋ろうと、クラスのみんなを全員集めました。
(体育の鉄棒の時間は授業終わりに、最後に先生がまとめの言葉を喋ります)
鉄棒の近くに先生が立ち、その先生の前にクラスのみんなが体育座りで話を聞く準備をしました。
みんなの準備ができたのを確認して、先生は言いました。
「はい、今日の体育の授業はここまでです。練習できる時間も残りわずかとなります。
みんなはその練習時間をいっぱいに使って各々が今挑戦している技をできるようになってください。
そして最後の時間を使って、先生の前で一人ずつ今できる最高の技を見せてください。その出来の良さで通知表に点数をつけようと思います。
みんな、分かりましたか?」
クラスのみんなは元気よく「は~~~い!!」と答えていました。
小学校1年生と2年生の2年間は、僕は鉄棒のテストはいつも「豚の丸焼き」をやっていました。
(みんながそれを見てクスクス笑っていました)
しかし、今の自分は違う…!
だって「前回り」ができるから…!
自身の成長を実感しながらも、正直、心はどこか寂しげでした。
なぜなら自分ができるようになったのは、ただの「前回り」だから。
テストでそれを見せたところで通知表は所詮「1」なのです。
(僕の学校では通知表は5段階に分けられMAXが「5」で、一番下が「1」でした)
「ま、いいや。俺の中では大きな一歩なんだし、とりあえずこの小さな幸せを嚙み締めよ」
そう、静かに心に誓いました。
先生は続けました。
「では、そろそろチャイムが鳴りますから、みんなは教室に戻って着替えてください。次の授業も遅れないようにね」
先生がいつもの終わりのセリフを言って、みんなが「よーし!休憩時間だー!」と思った時……、先生の言葉はまだ終わりませんでした。
「あ、そーだ。みんなに大事なことを言い忘れていました。
すずくん、ちょっと前に出てきてくれる?」
体育と道徳って相容れない存在なのかな。
僕は昔から人見知りで、集団の前に立つのが苦手です。
今はそんなことはないのですが、小さい頃は人前に立つとずっとモジモジしていました。
そんな当時の僕が、しかも苦手で嫌いな体育の授業でみんなの前で立たされることにどれだけのストレスを感じたかは今でも鮮明に思い出せます。
先生の一言に対して「何で?」と感じながらも、俯いて前に出ました。
やばい!恥ずかしい!嫌だ!
先生は言いました。
「みんな、よく聞いてね。なんと、さっきの練習時間で、すずくんが前回りをできるようになりました!」
!?
先生!そんなこと言わなくていいですよ!
気持ちはすごく嬉しいのですが、子供たちの中にも小さな社会はあるんです!
そんな事言ったら、それをネタにしていじられてしまう!男子はそういうのが好きな子もいるんですよ!本人に悪気はなく無意識にそれをネタにしてくる子もいるんです!
見てください!先生!あの運動神経良い子たちの冷めた目を!
「そんなんどーでもいいから、早く教室戻って着替えてボールで遊びてーんだけど」って目で語ってますよ!
先生!もう、やめましょう!その話は!
そんな僕の思いも虚しく先生は続けました。
「みんなからしたら当たり前の様に出来る前回りかもしれません。でも、すずくんにとってはとても大きな一歩なのです」
言葉の意味はすごく否定できない、むしろ肯定する内容でした。
しかし、言うタイミングを間違えてる気がする、体育の授業じゃない。
幼いながらもそれを本能的に理解していました。
チラッと唯一の仲間である「逆上がりできない組」を見ると、みんなが申し訳なさそうに下を向いている。
底辺にいるからこそ分かる、この屈辱。
「そんなことでみんなの前に立ちたくない!」
底辺にいるみんなが僕と同じ気持ちになっていました。
「じゃあ、すずくん。みんなの前で前回り、……やってみようか?」
僕は、泣く思いで前回りをみんなの前でやりました。
先生が拍手をしだして、クラスのみんなも追われるように拍手をしていました。
乾いた拍手でした。
女子は優しい子たちが多かったので「すずくん良かったね」と、うんうん頷きながら拍手をしていましたが、男子は明らかに「え?これ拍手すんの?」みたいな表情をしていました。
このくだりもあって体育の授業は少し遅れて終わり、それからしばらくは見事にいじられました。
「おい、前回り見せろよw」とか「良かったじゃん、前回りできてw」とか「お前のせいであの日教室に戻る時間遅くなったじゃねーか」とかとか、色々言われました。
女子たちは「辞めなよー、かわいそうじゃん」と言ってくれましたが、僕の中ではその優しさすら何とも言えない気持ちにさせました。
何よりもショックだったのが、なぜか「逆上がりできない組」も一緒になっていじってきたことでした。そして、その手のひら返しが当時の僕の中では大きな疑問となっていました。
(クラスの空気という大きな権力には誰も逆らえないということでしょうか……)
最後に、通知表はもちろん見事に「1」でした。
そりゃそうですよね、所詮「前回り」なので、僕の中では大きな一歩でも客観的に見たら些細な一歩ですからね。
まとめ
これは今でも覚えている出来事で、たまに自分のネタとして人に喋ることがあります。
「逆上がりできない組」の何人かや、後にいじってきた奴らは今でも付き合いがあるので、酒の席でそれを思い出話として喋ると「ごめん、あの時は若かったわw」と意味不明な謝罪をしてきます笑 僕としては今となっては気にしてないので「とりあえず今日の酒代おごってくれればいいやw」と冗談まじりに話す程度です。
しかしこの話をして、いつも思うのですが「教師」という職業は難しいですね。先生も悪気があって、こんな公開処刑みたいなことをやった訳ではなくて、たまたまこのやり方が僕という子供には合わなかっただけですからね。
このやり方で、もしかしたら感動という形でクラスの結束が固まることもあると思いますし。先生のやったことは必ずしも間違いではないと思います。
ただ、授業後に僕だけを呼び出して「お前見てたけど、前回りできるようになってすごいじゃん。みんなからしたら当たり前かもしれないけど、お前の中では大きな一歩だと思うよ。次は逆上がりだな!」とコッソリ言ってあげるくらいが、ちょうどいいんじゃないのかなって感じます。
(これも間違いかもしれませんが…)
何にせよ、現在、小学校ではクラスに何人いるのかよく分かりませんが、何十人といる生徒を一人一人個別で見ないといけない教師という職業の大変さや難しさがよく分かるお話でした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
今日も無事に一日が終わりました。皆様お疲れさまでした。
今日は仕事が終わった後に、職場の人たちと飲み会がありました。
そして、ただ今帰宅をしました。
先輩たちを何人か家まで送ったのもあり、僕は一滴もお酒を飲まなかったです。
実は、今の会社に入職をしてから飲み会でお酒を一滴も飲んだことがありません。
なぜなら、先輩をいつも家まで送るからです。
その先輩達が退職するまで飲み会の時はずっと送迎をやるのかなと考えます。
送迎をするのは別にかまわないのですが、最近は後輩達が気を使ってくれて「すず先輩送りましょうか?だから飲んでください」みたいなことを言ってくれます。
僕も何か悪いので「いいよいいよ、それならお前の同期たちを送ってあげろよ」みたいな明らかに格好をつけたことを言ってしまいます。
正直なところ職場の人たちを前にしてアルコールを入れた時、自分がどんな感じになるのか全然想像がつきません。
っていうのを、今日の飲み会で話したのですが、周りから「よし!次は、お前は絶対飲め!」と言われました。
い、嫌な予感がする……。
とても嫌な予感だ……。
ハメを外してしまうのかもしれない……。
「あざす!次は飲ませて頂きます!」と元気よく言っている自分の額には冷たい汗が流れておりました。
わざとやってたら俺は君を逆に褒めたいと思う。
毎日、通勤前に必ず寄っているコンビニがあるのだが、そこの男性店員が不思議だ。
髪は短く、日焼けした肌をしており、常に無表情なコンビニ店員だ。
いつもお昼ご飯用に、何かしらの食べ物を買っていくのだが、
僕はいつもその時に「お手拭きを一つ入れてください」とお願いをする。
店員は「かしこまりました」と言って、お手拭きを入れてくれる。
それが毎日のように続くと、店員が勝手に入れてくれるようになる。
こちらとしては、毎回入れてほしいものなので「あ、分かってくれたんだ」と思って
何も言わずにお会計を済ませて商品を受け取る。
正直、そちらの方が自分としては助かる。
だが、ここで不思議な現象が起きるのだが、ある日突然、急にお手拭きを入れなくなる。
同じ店員である。
買った商品も、がっつり手が汚れるような食べ物を買ったにも関わらずである。
(たまたま忘れたのかな……)と思って、
「すみません、お手拭きください」とお願いしたら
「かしこまりました」と言って入れてくれる。
次の日、なぜか、またお手拭きを入れてくれない……。
また言う。
「お手拭きお願いします」
「かしこまりました」
言わないと、入れてくれない日がしばらく続いて、(あぁ、もうこのまま言わないとダメなのかな)と思った矢先、
ある日突然、また勝手に入れてくれる周期が来る。
なぜだ……?
よくわからんぞ……。
店員の思考パターンが全く掴めず、何か法則があるのかと探るのだが、トリックが全く分からない。
ちなみに今は、何も言わなくても入れてくれる。
しかし、近日中に入れてくれない期間が来るのが分かる。
今度いっそ勇気を出して聞いてみようかなと思うときもある。
しかし、それ以上に出勤前という憂鬱さがそれを邪魔する。
でも気になる。
なんか、ちょっとストレスになってる気がする。
続・激務は人を変える……。
~前回のあらすじ~
「おめぇ!マジでいい加減にしろよ!半年間も、愚痴ばっか言ってんじゃねーよ!いいか!仕事ってのは辛いものなんだよ!でもな!みんなそれを我慢して頑張って頑張って毎日出勤してんだよ!しかもお前みたいに弱音も吐かずに頑張ってんだよ!」
数年前、仕事で落ち込んでいた僕に対して友人は、そんな言葉を告げてくれた。
僕は、その言葉に感動を覚え、それを機に仕事を頑張るようになった。
今、僕がこうして今日も明日も元気に仕事ができるのは彼のお陰と言っても過言ではないのだと思う。
そんな彼から昨日一通のLINEが入った。
「ニートになったわ」
僕はあの時の恩を返すために、自宅の冷蔵庫からスーパードライを数本袋に入れて彼のアパートへと向かった。
以上、前回のあらすじでした。
詳しくは、この記事を読んでください。
(どん兵衛にお湯を入れてから読むと、ちょうどいい頃合いに読み終わります)
~本編~
友人のアパートに着くと、彼は何かにとり憑かれたかの様な暗い表情で出迎えてくれた。
僕「……おう、大丈夫か?」
友人「大丈夫じゃねぇよ」
お互い晩御飯をまだ食べていない事もあり、最近本格的に気温が高くなってきたのだが、なぜかキムチ鍋を自分達で作って食べることにした。
買い出しに行くため、車で最寄りのスーパーまで向かったのだが、道中での会話は一切なかった。
僕「………………」
友人「………………」
僕も友人も仕事の話をしたいのだが「今、この車の中ではない」と二人とも思っていたのであろう、お互いが全く喋らなかった。
次、どちらかが口を開くとき、それは「なぜ仕事を辞めたのか」その議論が交わされる、そんなことも考えていたのかもしれない。
(ちなみにスーパーに着いてからは、豚肉にするか鶏肉にするかで尋常じゃない口論を繰り広げました)
アパートに着いてから、僕は友人に「先に呑んでおけよ」と一言伝え、鍋の仕込みに一人で着手した。
友人はテレビを見ながらビールをジュルジュルと飲んでいた。
ほどなくして鍋が出来上がり、二人で乾杯をして、クーラーガンガンに利かせて鍋をつっつきだした。
「でさ、早速、本題なんだけど、………なんで辞めたの?」
「………仕事が辛い……」
その一言を皮切りに、友人の口からは仕事の愚痴がボロボロと出てきた。
詳しく話を聞いてみると、どうやら今までお世話になっていた上司が部署転換で変わってしまい、その次に着任された上司が結構なワンマンらしい。
友人は、そのワンマン上司に上手くハマッていないらしく、最近ずーっと雑務ばかり押し付けられていたとのこと。
終わりが見えない雑務のせいで、日付が変わるまで会社にいることもザラみたいである。
一日の平均就業時間を聞くと、友人曰く「出勤時間と同時に初代ポケモンをさいしょからはじめると退勤する頃にはポケモンリーグにいると思う」と言っていた。
(なんて分かりづらい例えなんだ!)
僕は、あの頃の恩返しも含め、励ますことにした。
「大丈夫だよ」、「お前を上手く使えなかった上司が悪い。お前は悪くないよ」、「だから、また頑張ろう」
友人は、「ありがとう」と言って俯いていた。
その時、僕には非常に言いたいセリフが一つだけあった。
「今は辛くても、いつかは光が見えてくるよ」
数年前、このセリフを友人が言い放ち、不謹慎にも僕が「くさっ!」と感じたセリフである。
これを今の友人に言ったとき、彼は思うだろう。
「くさっ!」と……。
「お前臭いこと言うなよw」と笑いながら言う友人に向かって僕はこう返すのだ。
「いやいや、数年前にお前が言ったセリフだから!w」
そして、二人に「笑い」という名の優しい風が吹いて、友人も気持ちが次に進めるだろう。
僕は、それを強く感じて、言うことにした。
「今は辛くてもさ、いつかは光が見えてくる。だから頑張ろうぜ」
友人は、少し驚いた表情をした後、直ぐにそれを崩して笑いながら言った。
「そうだな、<今>という闇の中に<お前>という光がいて良かったよ。そういう意味では俺にはもう光が見えているかもな……」
あ、こいつヤベーわ。
ってか、俺なんかよりも全然違うステージにいる。
正直、ちょっと距離を置こうかな……。
いや、でも大切な友達だし…!
え?ってか、俺たちもう30代だぞ…。
こいつマジか……。
二人の気持ちのすれ違いが起きながらも、キムチ鍋はグツグツと煮込んでとても美味しかったです。
何にせよ、友人よ、
落ち込むことも大切だけど、早く気持ちをすっきりさせて次の仕事が見つかるといいな!!頑張れ!応援してるぞ!!
激務は人を変える……。
僕には一人の仲の良い友人がいるのですが、一度だけそいつに物凄く説教をされたことがあります。
社会人になりたての頃、仕事があまりにも退屈だったのでそいつに会えば愚痴ばかり言っていた時期がありました。
やれ「仕事がつまらない」だの「上司が嫌だ」だの「人間関係がめんどくさい」だの……
正直、あの頃を思い返すと「あいつよく耐えたな」と思います。
最初は、その友人も「そうか、お前も大変だな」ってな感じで聞いてくれてたのですが、
僕があまりにも愚痴を言い続けるので、ある日突然キレました。
(そりゃ、そーでしょ)
「おめぇ!マジでいい加減にしろよ!半年間も、愚痴ばっか言ってんじゃねーよ!いいか!仕事ってのは辛いものなんだよ!でもな!みんなそれを我慢して頑張って頑張って毎日出勤してんだよ!しかもお前みたいに弱音も吐かずに頑張ってんだよ!」
雷に打たれた思いでした。
自分が情けなかった……。
同い年の友人だって自分と同じように辛いはずなのに、何も言わず相槌を打って聞いてくれていたそいつの懐の深さに感動すら覚えました。
そいつの優しさと自身のふがいなさから僕は言いました。
「今までごめん。確かに愚痴ばっかだったな。ありがとう、もう少し前向きに生きてみるよ」
続けて友人が言いました。
「分かったならいいよ。いいか、俺だって仕事に関しては不満はあるよ。でもそれを言い続けても仕方ねーじゃん。何が何でもしがみつかないと。今は辛くてもずっとやり続けていればいつかは光が見えてくるよ」
光が見えてくる……、なぜ、そんなくさいセリフを平気な顔で言えるんだろう、と正直疑問を隠せなかったが、その時の僕は感動と友人の優しさで少し目が潤んでいました。
そして、今日、その友人から一通のLINEが入りました。
仕事の休憩中に読んでみると……
たった一言……
「ニートになったわ」
え!?何があった!?
え!?え!?……大丈夫か!おい!
という訳で、ちょっと今から友人に話を聞きに行きます。
とりあえず大量のお酒がいりそうな予感です。
いつか!いつかできるようになりたい!
今やっているブログについて色々と考えているのですが、
「これだ!」と思えるモノが中々思いつきません。
正確に言うと方向性が、まだ定まっていません。
今までの記事は、8割が「自分の好きなこと、興味があること」を書いているのですが
それでは、読んで頂いている皆様を楽しませることはできません。
ブログって難しいですね……。
いや、人を楽しませることが難しいですね。
自分の中で、もっともっとやりたいことや書きたいことは、
いっぱいあるのですが、それではダメです!
読んだ人が楽しんで頂けるように上手に変換しなければ!
「この記事は微妙だなー」と思えることが、思いのほかアクセス多かったり、
「これはいけるだろ!」と思ったのが、あんまりだったり、
その都度、悲しい気持ちに感じます。
「読んでくれている人たちと、自分の価値観ってこんなに違うんだ」と思います。
正直、めちゃめちゃくやしいので、この距離感を近めていきたいです!
読み終わった後に「楽しかった」と思えるような記事を書きたいです!
その為にも、もっともっと頑張るので、良ければこのブログを
何かの息抜きにでも読んでください。
今、色々と試行錯誤しているので、これからもよろしくお願いします。
高いパフォーマンスを出したい!集中力を継続させるには…!
はじめに
仕事と息抜きのバランスって難しくないですか?
働かせて頂いて、何年か経つわけですが、今だこの「息抜き」のペースが掴めないでいます。
僕は、何かにハマると、ずーっとそれをやり続けてしまう傾向があります。
例えば、「仕事を頑張る!!」って思ったら、ずーっとやってしまうんですよ。
逆も然りで、「遊ぶ!!」って決めたら、ずーっと遊んでしまう。
一見、捉え方次第でストイックな高い結果を生み出せる人間のようにも見えますが、そのやり方で結果を出せるのは能力のある選ばれた人間だけだと思います。
悲しいことに、僕は選ばれた人間ではありません。
人間には、「疲れ」というものがありますから、作業効率を主にして考えると、やっぱり上手に息抜きを入れたほうが効果的なんですよね。
「人の集中力は90分が限界」
なんて言葉をどこかで聞いたことがありますが、集中力は個人個人で違うものだと思います。
30分の人もいれば平気で90分以上続けられる人もいる。
皆様は、どうでしょうか?
自分の場合
僕は上記の通り、やろうと思えばずっとやれるのですが、冷静に見つめ直すと、やっぱり作業効率は落ちているんですよね。
「ちょっと休憩入れるか」と、その時初めて感じて一息入れるのですがコレはまだマシなパターンです。
なぜなら、作業効率が落ちたことに気づけたからです。
でも、効率悪くなっているのに、ずっと続けてしまうこともあります。
人に指摘してもらわないと、気づかずにそのままやり続けてしまう恐いパターンです。
極端になってくると「間違ったやり方や捉え方、考え方」で、そのままいってしまうのだから非常に怖いですよね。
上手に息抜きができる人、すなわち息抜きできるポイントを抑えている人というのは、基本的に高いパフォーマンスを出し続けて見ていて「安定」しているし「安心」しますよね。
そんな人間になりたいと心から思います。
もしかしたら感情って大事なのでは……!?
すみません、ものすごく自論を展開してしまうのですが、
「集中力って感情から来る要素が大きいのではないのかな」って考えることがあります。
良いことがあった時や、悔しい時など、感情の揺れ幅が大きく動いている時って、アドレナリンが出ているのか、びっくりするくらい集中できる時ってないですか?
「お前大丈夫?」と言われても、全然平気みたいな……。
「結果を出したい!」とか「昨日、入院中のおばあちゃんが危篤状態から脱した」とか、理由は人それぞれだと思いますが、自分がどんな場面で感情が動くのかを知ることができれば集中力もコントロールできるのではないかなと思います。
自身にとって感情が沈むポイントを抑えて、覚悟をしておくだけでも心に来るダメージを減らすことができる、それがゆくゆくは集中力の継続に繋がるのだと思います。
「お昼ご飯は好きな物を食べる!」と決めたことにより、自分の感情がプラスに動くと分かれば集中力は継続されるのだと思います。
でも、感情というのは「気分」にも直結しているものだと同時に感じます。
「気分」って、すごく不透明で常に形が変わるものだと思うので、これを完璧に把握するのも難しいですよね。
では、どーすれば良いのか……。
まとめ
どーすれば良いのか?という問いに対する答えなのですが、
結論を述べると、
「そんなこと考えてる暇あるなら、休め」ってことですね。
「集中力って、どーしたら続くんだろう」と考えてる時点で、「切れちゃって」ますから。
結局は、そんなこと考えずに全く関係のない、楽しいこと思い浮かべて休んだ方がいいよってことですよね。
この記事を読んで「なるほど」とか「参考になった」とか、もし思って頂けたのであれば、ありがとうございます。
でも、それは「そんなこと考えないで休む」というサインなのかもしれません。
皆様も、上手に息抜きをして、実りある人生を送られるよう願っております。
読んで頂き、ありがとうございました。