ほんのちょっぴりの小さな勇気……!
はじめに
皆様は、幼少期は、どんな子供でしたか?
どの様に過ごされていましたか?
元気で、やんちゃな子でしたか?
物静かで、大人しい子でしたか?
勉強や習い事に集中できる真面目な子でしたか?
好きなことに一生懸命な正直な子でしたか?
それぞれ色々な幼少時代を過ごされたかと思います。
僕はと言うと、めちゃめちゃ大人しい非常に人見知りをする子供でした。
幼少期の思い出
本当に人見知りをする子供だったと思います。
同年代の子とは直ぐに打ち解けられず、
そして、大人と話すのが苦手でした。
また、一人遊びが大好きな子でした。
だから、一人遊びをしている自分を見て大人が「何してるの?」と優しく声を掛けてきてくれても、
「ッッ!!。………………………。」
と何も言わず俯いてモジモジして、しまいには一人遊びの手も止まるような気弱な子供だったと思います。
(大人と話すのが苦手な子供もいるので「かわいい」からと言って無理に話すのはよくないんだなと経験談で分かるようになりました)
友達はと言うと、一度仲良くなると凄く明るく接することができるのですが、初対面だとまたモジモジしだす社交的とは真逆な子供だったと思います。
また、運動が大の苦手でした。
俗に言う運動音痴ですね。
皆様は、どうだったでしょうか?
小学生の思い出
小学生の時、モテてる子っていませんでしたか?
僕ですか?
もちろんモテませんでした!
休憩時間には、教室で一人、自由帳に絵を書いてた子だったので、モテた試しがありません。
(たまに優しい女子などが「すずくん、絵うまーい」と言って声を掛けてくれることが唯一の幸せでした。……え?えぇ、もちろん片思いでしたし、陰で、あいつ暗いよねと言われてました)
ところで、小学生の時にモテてた子ってある一つのステータスを持っていませんでしたか?
見た目がカッコいい、勉強ができる、おもしろい、楽しい、色々あるかと思いますが、
僕の小学校では、モテる一番の要素は運動ができる子供でした。
体育の時間で活躍する子が、学年中の女子たちの憧れの的になっていました。
僕はと言うと、幼少時代から変わらず運動音痴で、ドッヂボールなんかのチーム分けの時には、必ずと言っていい程、余りもの扱いでした。
僕が、グループに入ると「うわー、すず来たわー。あー、もう、俺たちのチーム負けたわ」と面と向かって言われた記憶があります。
「トルネコの大冒険の、トルネコの攻撃って何であんなにミスるんだろ」と考えて、現実逃避しながら、毎回ドッヂボールの豪速ボール(当時はそう見えた)から必死に逃げていたと思います。
(我ながら情けなさすぎる!)
また、人見知りで暗い性格もあったので、大勢の前に立つのが大の苦手でした。
そんなある日、確かあれは小学校3年生の時に事件は起きました。
小さな感動…、そして……
小学3年生の時、体育授業の一環で、鉄棒を課題内容にした時間がありました。
クラスのみんなは各々ができる好きな技、今練習中の技を挑戦したりしていました。
そんな中で、「格付け(個人的にはあまり好きではない言葉ですが……)」をするならば、ランクの低い位置に属する「逆上がりができない組」が存在していました。
当時、小学生で「逆上がり」ができない子供って多くなかったですか?
僕ですか?
ええ、もちろん、できませんでしたよ。
もっと言うと、初歩中の初歩技である「前回り」もできませんでした。
恥ずかしながら、3年生になってもできませんでした。
(今思い返すと、得意不得意があるのは当たり前で何も恥じることではないのですけどね)
「逆上がりを挑戦する」というスタートラインにすら立っていない自分にとって体育の鉄棒の時間は苦痛で苦痛で仕方ありませんでした。
そしてクラスで唯一「前回り」ができない僕という存在を、当時の担任の先生が知っているのも感じていました。
クラス内の運動神経が良い男子達は、僕に対して「お前、だせーわ。恥ずかしくないの?」と面と向かって言って来ました。
「子供とは言え戦闘民族サイヤ人である悟空に、天下一武闘会で一度でも勝ってみせた地球人のジャッキーチュンこと亀仙人ってすげーな」
僕は、こう考えて現実逃避するしか抵抗する手段がありませんでした。
若しくは「逆上がりができない組」と砂で遊んで時間を潰していました。
(校内集会もそうですけど、あの様な退屈な時間に遊ぶ砂って何であんなにも楽しいのでしょうね)
遠くの高鉄棒を見るとクラスの人気者が「グライダー(僕の地域ではこう呼ばれていました)」や「コウモリ振り降り」を見事にやってみせて女子たちからキャーキャー言われていたのを鮮明に思い出せます。
片や、逆上がりでくすぶっている僕たちは低い鉄棒にいる。
そこには、子供たちの小さな社会で格差というものが生まれていました。
(考えすぎか、高鉄棒には陽の光が当たっていて、僕たちが固まっている低い鉄棒はちょうど日陰だったような気がします)
「あそこは別世界だ。俺たちには無縁の世界なんだ……」
砂で遊ぶ皆が、そう顔で語ってたように当時の僕は感じました。
しかし、ここに、僕にとって小さな転機が訪れました。
「逆上がりできない組」の一人が僕に向かって言ったのです。
「お前さ、前回りくらいできた方がいいんじゃねーの?」
僕は言いました。
「いや、いいよ、できなくて。そんなことより早く砂の山作ろーぜ」
鉄棒に対して自信を喪失し、弱気になっている僕に対して皆が口を揃えて言いました。
「いや、お前できるって!だって俺らでもできるんだぜ!前回りできるよーになろうぜ!」
別の友達が言いました。
「怖くなって手ぇ離しそうになったら、俺たちが絶対支えるからやってみよーぜ!」
「大丈夫!いけるって!」
気が付くと、僕の周りでは「すず、前回り挑戦しろ」コールが起きていました。
その空気に負けて、僕は言いました。
「わかった、…やってみるわ、前回り。そうだよな、3年生になっても、できないとか恥ずかしいよな。よし!俺やってみる!!」
みんなが「よーし!よく言った!絶対支えるから!」とか「回転が止まったら、俺たちが力貸すから!」と熱いメッセージを送ってくれました。
僕は、前回りを挑戦する為に鉄棒を握りしめました!
まぁ、結果から言うと、あっさりできました。
(今は大人になったので、冷静に分析ができるのですが、鉄棒、跳び箱、補助輪なし自転車等って、それを実行する身体は既に出来上がっているのですが、子供って恐怖心のせいでそれが実行に移せない。そこを無くすための勇気づけが重要だったんだなと今では思います)
前回りが見事にできた僕が言いました。
「できた!俺、前回りできたよ!みんな俺できるようになったわ!」
「逆上がりできない組」のみんなが歓喜の雄叫びをあげました。
「おめでとう!」
「おめでとう!」
「おめでとう!」
エヴァンゲリオンの最終回よろしくなシーンが繰り広げられている中、向こうの高鉄棒では陽の光を当たる者たちが「あいつら何してるんだ?」みたいな冷めた顔で見てたのをチラチラと僕は見ていました。
「うるせぇ!お前らには分かるまい!この感動が!尊いんだ!この感動は尊いんだ!」
「ありがとう!みんな!」と言いながら、僕は顔をクシャクシャにして皆にお礼を告げました。
この全体像を例えるなら、カイジの地下王国でチンチロチンの死闘を繰り広げ歓喜の雄叫びを上げる中、それを見下ろす帝愛グループ幹部の様でした。
しかし、この数分後、僕はまだ知るよしもありませんでした。
この幸せが屈辱へと変わることを……!!
(たぶん、続きます……たぶん………)
とりあえず、この記事のまとめです。
小さい頃って色々ありますよね。
皆様も「良い思い出」も「悪い思い出」もあるでしょう。
今、思い返すと、子供って残酷だなと思います。平気で人が傷つくことを、めちゃめちゃ平気で言うじゃないですか笑
「あれって何なんだろう」と、今では思えます。
子供の頃に戻りたいなーと思う時もあるのですが、おそらくこの「子供特有の残酷さ」に精神やられるんじゃないかな……。
「デリカシーなさすぎる!」と毎日思うんでしょうね。
こう考えると、「大人の方が、気持ち的に楽だわ」と感じちゃいますよね。
皆様は、昔と今では比べてみてどうですか?
読んで頂き、ありがとうございました。