食事中は読まないでください!!
昨日の記事で最後に「明日は真面目に書きます」と書かせて頂いたので、有言実行したいと思います。
真面目に書くということは、真面目な議題を考えねばなりません。
真面目な議題と言えば、やはり「おなら」でしょうか。
「屁」と言い換えてもOKです。
(こちらの方が何となく勇ましい感じはしますね。そして、皆様すみません。真面目に考えに考え抜いた議題がコレしか思いつかなかったのです)
昔、大好きなおばあちゃんが「お前がいつかブログを始めたら、おならについて書きなさい」と言われたので、今ここでおばあちゃん孝行をしたいと思います。
そして、僕が「おなら」に対してどう思っているのかを正直な気持ちで書こうと思います。
はじめに
皆様は、おならをしたことがありますか?
もちろんありますよね?
(ここでないと答えた方は、早急に病院の消化器科か胃腸科に受診をしてください)
僕も、もちろん、おならをしたことがあります。
では、皆様はそのおならを公衆の前でやれますか?
答えは「やりたくない」ですよね。
(ここでやれる!と答えた人は是非コメントをください。友達になりましょう)
僕も公衆の前では、おならはできません。いや、やりたくありません。
なぜなら恥ずかしいからです。
では、なぜ「恥ずかしい」と思うのか……。
それを考察する前に、僕なりにですが簡単におならについて調べてみました。
おならとは
肛門から排出される気体であり、それは腸に溜まるガス(=空気)である。
基本的に身体の中で残存している空気は器官細胞によって吸収をされているが、中には吸収しきれず残ってしまうモノもある。
その残ってしまった空気が身体の中で増えてくると体外へ出ようとして肛門から排出されるという仕組みである。
要は、身体の中に空気がいっぱいあると大変だから最寄りの出口「肛門」から空気を出そうということですね。
(説明が分かりにくかったら、すみません……)
上記の理論でいけば、おならは身体の仕組み、機能的な部分として絶対に外せれないものが分かります。
(現に、おならが出なくなり腸がおかしくなったという事で大きな病気にかかることもあります)
すなわち、おならは、身体を良くする若しくは正常に機能させる生理現象なのである。
おならと現代社会
現代の日本では、おならは不快なものという分類に分けられていますよね。
おそらくその理由は嗅覚を不快に刺激するからだと思います。
しかし、一瞬沸き起こる負の気持ちだけで、生理現象を否定していいのでしょうか?
マナー的に良くないのは分かりますが、それを否定するなら「じゃあ、あなたはおならをしないのですか?」と言いたくなります。
テレビを見ていて、お笑い芸人のダウンタウンがトーク中にドヤ顔でおならをすると笑いが起きます。
(ダウンタウンはおならをしすぎな様な気もしますが…)
なぜなのか?
その理由として、普通の人が公共の場ではできない行動を、さも平然と当たり前の様にしたことへの価値観のズレから起きているのではないのでしょうか。
(その場のトークとは全く関係ない所で突然別のことをした、という別の理由も挙げられそうですが、ここではそれは置かせてください)
おならって良いことなのです。
そして、その良いことを止めることは体の構造上、できないのです。
少し話は逸れますが、「ゲップ」というものがありますよね。
(外国では、おなら以上にマナー違反だと言われております)
ゲップを、たまにめちゃめちゃ派手に出す人がいますが、あれはマナー違反だと思います。
何故ならゲップを止めることはできませんが、抑えることはできると思うからです。
更に言うと、ゲップは口の周りを軽く手で覆いながらやるだけでもイメージが大分変わります。
(僕は握った拳を口元に当てながら静かに出します)
しかし、おならは抑えることもできませんし、イメージを変える動作もありません。
防ぎようがないのです。
しかし、現代社会は、このおならを否定する。
この価値観を変えたい、僕はそう思って打開策を考えました。
どうしたら現代社会を変えられるのか
上にも書きましたが、嗅覚から来る不快感が原因だと考えられます。
確かに食事中とかに、おならをされるときついです。
「うわ」と思います。
では、この臭いに慣れてしまうのはどうでしょうか?
臭いではなく匂いに変えるのです。
突然ですが、皆さんは便所飯というのをご存知ですか?
そう、孤独から生まれる悲しい食事方法です。
しかし、僕にはあれが「おならを克服しようとする光への道を歩む者」に見えます。
「食事中」という「おなら」と相反する存在同士を繋ぐ作業になっている、意外と便所飯というのは孤独ではなく変革の匂いがします。
次に、おならをした時とされた時のリアクションも意識してみては、どうでしょうか?
例を挙げてみましょう。
「ごめん、屁でたわ」
「うわ、お前最悪だな。うわ!くっせ!」
「いや、だからごめんって言ったじゃん!」
(2つの意味で)嫌な空気ですね。
では、こんなのはどうでしょうか?
また、おならをしたとしましょう。
「俺の体、今日も元気みてーだわ」
「あれ?おならした?おめでとう!良かったじゃん!」
「ありがとう!最近嫌なことあったけど何か元気出てきたわ!お前も、おならしたら是非教えてな!」
「サンキュー!その時はLINEするわ!」
「タイムラインも忘れずにな!」
空気が変わったのが、よくわかります。
一石二鳥とは、このことですね。
まとめ
以上で、僕がおならに対して思っていることです。
正直、なんでこんな記事書いたんだろうと今は後悔しかしてませんが、なぜか今晩はぐっすり眠れそうです。
皆様も、おならに対して少し意識を変えてみてはどうでしょうか?
彼女とデート中、奥さんとの甘い夜、職場での大事な会議、などなど
場面、場面で「おならをしたい!」と思ったことが必ずあるはずです。
なぜ、その時できないのか?
それは無意識による生理現象への拒絶という生きることへのジレンマが生じているからかもしれません。
では、おやすみなさい。
ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。
(皆様の知識の糧にと思って、最後のココにマメ知識を書きたいと思います。おならと屁の違いは正確に言うと、音のでるものがおなら、音の出ないものが屁というらしいですよ。へー)
すみません、本当におやすみなさい。